南海トラフの東側(熊野灘)で発生したM7.9の巨大地震。三重・愛知・静岡で大きな被害を出し、工場の倒壊や液状化が発生。2年後の昭和南海地震と合わせて南海トラフの連動地震として研究されている。死者1,223名。
1944年12月7日午後1時35分、熊野灘(南海トラフの東側)の深さ約40kmを震源とするM7.9の巨大地震が発生した。三重県・愛知県・静岡県の広い範囲で強い揺れが観測された。
地震発生後、熊野灘・伊勢湾沿岸に津波が到達。三重県の沿岸部では最大波高約7mを記録した地点もあった。
三重県の工場地帯(軍需工場)では建物倒壊と液状化が相次いだ。東海地方の沿岸低地でも地盤沈下や液状化が確認されている。
戦時中の発生であったため「国民の士気に影響する」との理由で報道が管制され、詳細な被害記録が後世に残りにくかった地震としても知られる。
フィリピン海プレートが南海トラフ沿いで沈み込むことで発生するプレート境界型地震。東南海地震(1944年)→昭和南海地震(1946年)と2年で東西が順に破壊した「連動型」の事例として重要視されている。
次の南海トラフ地震では「東海・東南海・南海」の3セグメントが同時または短期間に破壊するシナリオが最も危惧されており、1944・1946年の連動はその参照事例となっている。
戦時中に報道管制が敷かれたために詳細な被害実態の把握が遅れた教訓から、「災害情報の迅速・正確な公開」の重要性が認識されるきっかけの一つとなった。また南海トラフ地震の将来予測においても不可欠な基礎データとして参照されている。