2011年3月11日の東日本大震災では、最大で40m以上の巨大津波が沿岸を襲い、約1万9,700人が亡くなりました。なぜあれほど大きな津波が発生したのか、科学的なメカニズムと、その教訓から私たちが学ぶべきことを解説します。
2011年3月11日午後2時46分、宮城県三陸沖(牡鹿半島の東南東130km)を震源とするM9.0の超巨大地震が発生しました。日本の地震観測史上最大のマグニチュードです。
死者・行方不明者の約9割以上が津波による溺死でした。揺れ自体は非常に激しかったものの、「揺れ」よりも「津波」が被害の主因でした。これが後の防災政策・津波対策に大きな影響を与えました。
津波は通常の波(風による波)とはまったく異なります。津波は海底の地形変動—特に海底の急激な隆起または沈降—によって海水全体が動く現象です。
M9.0はM8.0の32倍のエネルギーを持ちます。断層が動いた面積は南北500km×東西200km(面積約10万km²)に達し、東京都の面積の約4倍もの断層面が一度に動きました。これほど広大な断層が同時にすべることで、膨大な量の海水が押しのけられました。
断層のすべりによって、海底が最大で約5〜7m隆起した場所もありました。この隆起が上にある海水を一気に押し上げ、巨大な津波の波源となりました。断層のすべり量は最大で約50m以上と推定されています。
岩手・宮城の三陸沿岸はリアス式海岸(複雑に入り組んだ湾)が続いています。湾の奥に向かって細くなる地形では、押し寄せた津波のエネルギーが集中して波高が急激に増大します。湾の形状が津波をさらに増幅させました。
気象庁が最初に発表した大津波警報は「宮城県で3m」でした。実際の津波高はこれを大幅に超えており、「3mなら大丈夫」と高台への避難を遅らせた人もいたと言われています。
| 地域 | 最大津波高(遡上高) | 到達時間(目安) |
|---|---|---|
| 岩手県大船渡市(綾里) | 41.1m | 約30分 |
| 岩手県宮古市(田老) | 約37m | 約30分 |
| 岩手県釜石市 | 約20m | 約30分 |
| 宮城県気仙沼市 | 約20m | 約25分 |
| 宮城県女川町 | 約14m | 約25分 |
| 宮城県石巻市(雄勝) | 約15m | 約25分 |
| 福島県相馬市 | 約9m | 約30分 |
| 仙台市(仙台平野) | 約4m | 約45分 |
三陸沿岸では30分以内に大津波が到達しました。一方、仙台平野では揺れから45分ほどの猶予があったにも関わらず、平坦な地形のため津波が内陸4〜5kmまで浸水しました。地形によって被害の様相が大きく異なりました。
東日本大震災では、津波警報のあり方についても重要な教訓が残されました。
地震発生直後の大津波警報では「宮城県3m、岩手県・福島県6m」が発令されました。しかし実際の津波は10〜40mに達し、最初の警報を大幅に上回りました。その後警報は更新されましたが、最初の数字が「たいしたことない」という安心感を与えてしまったとも指摘されています。
気象庁はこの教訓を踏まえ、2013年から「巨大」「高い」という定性的な表現を警報に追加する改訂を行いました。「大津波警報(巨大)」という表現で、数値で表せないほどの危険性を伝えられるようにしました。
岩手県釜石市の小中学生約3,000人は、地震発生直後に「自分の判断で高台へ」と行動し、ほぼ全員が津波から逃れました。「釜石の奇跡」と呼ばれるこの出来事は、平時からの防災教育(「津波てんでんこ」の精神—各自が自主的に逃げる)と避難訓練の成果でした。
「この高さの防潮堤があれば安全」「過去の津波はここまでしか来なかった」という考え方が、東日本大震災で覆されました。想定を超える津波が来ることを前提に行動することが重要です。