「津波地震」の典型例。揺れは小さかったにもかかわらず大規模津波が三陸沿岸を壊滅させ、死者約22,000名。最大波高38.2mを記録した地点もあり、日本の津波災害史上最大級の惨事の一つ。
1896年6月15日午後7時32分、岩手県沖の深さ約20kmを震源とするM8.2の地震が発生した。揺れは比較的小さく(震度2〜3程度)、多くの住民が「大したことはない」と判断したとされる。しかし地震発生から約35〜40分後、想像を絶する大津波が三陸沿岸に到達した。
夕方の時間帯、三陸沿岸では旧暦の端午の節句を祝う行事が行われており、多くの人々が浜辺付近に集まっていたことが被害を拡大させた。
岩手県田老(現宮古市)・吉浜・山田・大槌、宮城県気仙沼など三陸沿岸の集落が壊滅状態となった。一部の集落では住民の9割以上が犠牲になったとされる。
ハワイでも津波が観測され、30名以上が死亡した。
太平洋プレートが日本海溝沿いで沈み込む際に発生した、いわゆる「津波地震」の典型例。断層のすべりが遅く、揺れのエネルギーは小さいが、津波を起こすエネルギーは通常の地震と変わらない——この特性が被害の拡大につながった。
「揺れが小さいから津波は来ない」という誤った判断を招きやすい地震タイプであり、現在でも「小さな揺れでも津波の可能性がある」防災教育の根拠の一つとなっている。
明治三陸地震は「津波地震」の概念を確立させた歴史的事例であり、地震学・津波防災研究の出発点とも言える。この地震の教訓を受けて三陸各地では高台移転が試みられたが、利便性を求めて低地に戻った集落も多く、1933年の昭和三陸地震で再び大被害を受けた。
「揺れが小さくても即座に高台へ避難する」という行動原則は、この地震を原点として繰り返し確認されてきた三陸の教訓である。